日本初のレーシングカー博物館がイベントへ協賛

2023.09.15

日本初のレーシングカー博物館であるレーシングパレス(現在は非公開)の原田淳館長は、かつて全日本F3選手権やル・マン24時間レースで活躍したレーシングドライバーでもある。
その原田さんは、幼い頃からモータースポーツに携わり、クラシックカーレースからF1まで数々のレースを間近でご覧になり関わっていた。とりわけ1978年は、全日本F2選手権のレースは強く記憶に残っているという。
この時12歳だった原田さんは、この年走っていたF2(2リッター・エンジンを搭載した国内最高峰、海外ではF1直下のカテゴリー)マシンと、国内トップドライバーと招聘された欧州のドライバーたちの戦いに強いインパクトを抱いたそうである。
16歳の時には鈴鹿のイベントにてタイレル6輪F1を乗り、話題を集めた。


その後、数々のレースに参戦し、1993年ル・マン24時間自動車耐久レースではポルシェ911カレラに乗り、クラス5位に入賞、日本人として初めて最年少の27歳で完走者となった。
時同じ頃、原田さんは日本初のレーシングカー博物館開館に向け世界中を駆け回っていた。そして、1996年、富士スピードウェイ近郊にレーシングパレスを開館。数々のレーシングマシンを国内外から探し、集めご自身の工場にてレストアを進めてきた。


幼い頃経験した1978年から45年を経た今、原田さんはこの年のF2マシンを次々とレストアしている。このうちの1台は1978年に星野一義さんのドライブで全日本タイトルを獲得し、欧州F2選手権にも挑戦したノバ532BMWで、国内では圧倒的な強さを見せながら、欧州では厳しい結果に終わったマシンだ。原田さんはこのノバで、欧州各国を転戦する国際ヒストリックF2レースに参戦し、当時の星野さんの悔しい思いを晴らしたいと考えていた。ただこの計画は、現地の参戦車両が新たに作られたパーツをふんだんに装着しているなど、オリジナリティの面で別なマシンになってしまう事から原田さんの考えとそぐわないことがあり、現在棚上げになっている。

一方で、1978年の全日本F2選手権に参戦したマシンを、当時のカラーリングで次々レストアしているのは、やはりあの年のF2レース、特に最終戦JAF鈴鹿グランプリの印象が強烈だったからだ。既に前述のノバの他、ブルーノ・ジャコメリがドライブしたマーチ782BMW、長谷見昌弘さんがドライブしたトミカ・シェブロンB42BMWは走行可能な状態にあり、今回特別に3台が同時走行する予定である。
さらに当時HRCが走らせた、1977年の欧州F2チャンピオン・マシンで、同年の王者であるルネ・アルヌーがドライブしたマルティニMk.22ルノーは、間もなく走行可能な状態に仕上がる予定だ。
これ以外にも、展示用とはなるが、リカルド・パトレーゼのドライブしたシェブロンB48ハートもレストアされた他、あと2台のシェブロンB40BMWもこの年のF2仕様にレストア予定とのこと。
原田さんとしては、こうした1978年の全日本F2選手権のマシン他を一台でも多く走行可能な状態にして、オールドファンの前で走行したいと考える他、プリザベーショニストとしてモータースポーツ文化を残し、後世に繋げたいとも強く考えている。

日本でも海外の様にモータースポーツ文化を大切にしたイベントが数多く開催され、当時のドライバーがステアリングを握り、模擬レースなど行えれば最高のイベントになると考えておられる。既にジャコメリさんとは密にコンタクトを取っていらっしゃるとのこと。当時のトップドライバーたちも、既に70代の年齢になっている。お元気なうちに、あの伝説的なレース、「1978年JAF鈴鹿グランプリ」や「富士JAFグランプリ」などを再現できればと密かに原田さんは目論んでいる。